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「キック・アス」感想

私の中のオタク絵センサーがレナ(.hack//黄昏の腕輪伝説)を見つけていた。

(以下ネタバレ)


「スーパーヒーローはコミックの中の存在である。仮にヒーローが実在したら、それはコスプレか、人殺しである」という認識がいい。スーパーヒーローという言葉の作り出す世界が「マンガ」「コスプレ」「人殺し」の3層に分かれていて、それらが時折近づいたりクロスしたりする(例えばキック・アスとビッグ・ダディがリンチに遭う光景は、コミック書店の中でモニタ越しにコンテンツとして観賞される)。

今作はスーパーテクノロジーも超能力も無い世の中で如何にしてヒーローは実装されるかという話なので、登場する武器は銃に刃物に爆発物と慎ましくリアルな武器ばかり、直接当てれば概ね必殺である。だからヒット・ガールはマンガっぽい表現とポップなBGMで無双する「人殺し」であり、まじめな警官は「自警団気取りで大量殺人か」とヒット・ガールらの行いを非難する。一方で「コスプレ」側のデイヴやクリスは「キック・アスはただのオタクだ」「彼ら(ビッグ・ダディやヒット・ガール)こそ本物のスーパーヒーローだ」と述べる。

「コスプレ」のキック・アスは、度々「人殺し」のヒット・ガールたちと違う行動を取ることで断絶が表現される。キック・アスの武器はスティックとテイザー(電気銃)なので一般的な殺傷武器に比べりゃまあ安全だし、キック・アスだけビルの谷間を怖いから飛び越えられないし、キック・アスがマスクを脱いでもヒット・ガールは脱がない、名乗らない(曰く「スーパーヒーローはどんな時でも正体を明かさない」)。

知らなかった世界に触れてしまい悩み苦しみ、あげくマフィアの理不尽な暴力に晒されたデイヴは、ヒット・ガールらに対して負った大きな責任(負債と言ってもいいと思う)を果たすために高価な殺傷武器を携え、「コスプレ」から「人殺し」へと文字通り飛んで越境する。そしてヒット・ガールを助ける本物のスーパーヒーローとしての活躍を済ませた後はさっさと飛び去り、ヒット・ガール(=ミンディ)もろとも一般人へと成りおおせる。まるで「マジモンの人殺しにはそうそう付き合ってられないぜ」と言わんばかりの軽やかさだ。この飛び去ってから握手までのところの鮮やかかつベタ極まりない演出をもって観客のカタルシスを掴む、これがキングのデュエル。

置いて行かれたのはレッド・ミストことクリスだ。キック・アスとのあまり致命傷にならなさそうな殴り合いの後、せっかく日本刀を持ち出して「人殺し」にクラスチェンジした時には一足遅く、キック・アスとヒット・ガールは死体の山をほっぽり出してバカ騒ぎから撤退するところだった。デイヴとミンディがヒーローを引退するならば、「人殺し」ヒーローとしてはレッド・ミストだけが残る。

殺人はたとえ理由があっても倫理的・法的に正当化されないという作中内常識を描いておきながら、その辺の何もかもを負の要素の象徴として居るクリス一人に押し付けてしまったかのようにも思えるが(あるいはこれもスーパーヒーローモノに対する皮肉なんだろうか)、見ている間はあまり気にならず、スタッフロールが終わるまで気持ち良くいられた作品ではあった。すばらしいと思います。