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富野節が炸裂して話が進まない桃太郎 コメンタリー風

今回の「桃太郎」というタイトルを僕が承知した覚えはありません(笑)。サンライズ、今はバンダイナムコフィルムワークスからはマーチャンダイジングの都合と言ってきましたから、所詮フリーランスの演出家としては、その決定は呑まねばいけませんし、そういう力関係だということを改めてお話しておかなければいけないと思っていれば、今こういう場に僕がしゃしゃり出てきているわけです(笑)。

時代や地理的なものに関しては「むかしむかし」「あるところ」ということで、これは技術論としては逃げであることは、先に言っておかなければいけません。どうしてそういう作劇になったかというと、年代の、時代物戦記物とかってもののリアリズムが本題ではない、という言い方になってしまうんですが、それはこれから見ていただく『桃太郎』という作品が、典型的なおとぎ話の原理原則にのっとったために、どうやらこれは場所や時代というものを飛び越えていける、そういった性能、ポテンシャルを持ち合わせているぞと感じ始めた実感が言わせてくれもします。

この「あるところ」に住んでいるのが、おじいさんおばあさんの老夫婦です、老夫婦っていうのは人里の、あのー街なんかとは離れたところに住んでいるので、生活のために山へ芝刈りに行ったり、川で洗濯したりっていう、健康な暮らしをしています。その健やかさっていうのは身体を病気したり怪我したりすれば失われてしまって、夫婦もこんなところでは生きていけなくなるかもしれないぞっていう、そういう前提に立ったときの健康であって、「むかしむかし」を生き延びている人間っていうものの、生々しい底力でもあるわけです。

そういうところに、川上のどこからともなくとしか言いようのない桃をどんぶらっこっこすっこっこと流してしまったことを、本当なら僕は演出家として恥じなければいけないんです。そこで恥じらいながらも今までなんとかやっていけているのは、おばあさん、健やかな底力を持っていると今お話しした、そのおばあさんが歌で桃を引き寄せるっていう、もっと恥ずかしいシーンがすぐにあるわけ(笑)。

桃は何物なの、どこから来たのって問題をいちいち聞いてくる人っていうのは、制作にも居ましたし、キャラクターデザインの要請で必要になった部分については、僕とプロデューサーと脚本家で考えて、共有するっていうところまではやっています。ただここにも長年アニメ屋をやってきた会社っていうのの悪癖のしみついているところを感じたときに、僕としては文句みたいなものは山ほどありますが、こういうことを言いだすと時間を全部使ってしまうので、ここではしません(笑)。

川で拾ってきた得体の知れない桃を取って食おうというんだ(笑)。こういうところの、言い方は悪いですがラフで乱暴な、元気さ、したたかさっていうのをフィルムに、映像にとして落とし込めているかどうかは、どうぞ皆さんで判断なさってください(笑)。

この桃がひとりでに真っ二つに割れるカットで、『桃太郎』の手応えを確信したところはあります。それはどういうことかというと、桃が正中線からひとりでに割れて、中から人間が出てくるぞーッていうバカバカしいカットのために現場のスタッフは本当に力を入れてくださったというのもありますし、それがオギャーッと生まれる赤ちゃんに命を注いでくれたっていう実感は、これはあったという言い方ができます。

桃の断面を僕は指示していませんから、これは演出と原画で良くしてくれたところです。皆さん拍手してあげてください(会場拍手)。断面から見える果肉のようなものが、本当に桃の果肉なのかと質問を頂きましたが、えー、これはナイショです(笑)。桃がひとりでにすっぱり割れているところもそうですが、現代の我々にはよく見ると原理も思いつかないようなことを織り込んであるというのは、これは子供たちに「そんなことできるわけねえだろ!」って笑って欲しいし、ひとりきり笑った後には、それを実現する方法っていうのを一生懸命考えて、人類の生き延びる方法に繋げてくれるような大人になっていただきたいという、これは僕のスケベ心もあります(笑)。

桃っていう生命力の象徴、シンボルみたいなものから生まれた赤ん坊の元気さっていうのは、夫婦には今後10年20年と生きてやるッて活力を与えてくれたかもしれませんし、おばあさんのお尻も、かつてはこの桃みたいにデッカかったのかもしれないっていうのは、キャラクターデザインにしても、想像しなければならないという気をつけかたはしていました。それはどういうことかと言うと、現代の人たちが、もともと女性のお股から生まれたのが人間なんだってことを忘れていくって風潮があったときに、それって人間の力、確かな命の力を置いていってしまうんじゃないのっていう危惧がまずありました。そういう中で、エネルギーに満ち溢れている益荒男がお尻、お尻のシンボルから生まれましたって全身でアピールしているとかって様子は、作品にできるな、という直感があったと、そういう言い方になります。お尻、みんな好きでしょ?(笑)だから主人公の男の子が桃太郎って名前になるのも、これは自然に決まりました。


参考

togetter.com

www.aozora.gr.jp