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はき違えたナラティブ、『SUPERHOT MIND CONTROL DELETE』雑感

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手裏剣キャッチとか瞬間瞬間のゲームプレイは良いとこもあるんだけどなあ。最終的にはPS Vitaのガールズ&パンツァー以上に怒っていた。

以降には本編の結末に関わるネタバレを含みます。


「ゲームの本筋を99%終えたとき、残りの1%を見たくなるのはなぜか?」という問題提起ではあるだろう。

ゲームの終盤、主人公は五感のすべてを捨てSUPERHOT世界の(クウ)に至る。ゲームの機能のすべては見かけ上破壊され、アプリケーションを起動しても「SUPER」と「HOT」を繰り返し唱えるだけ。プレイヤーとゲームが合一する瞬間である(そうだろうか? そういうことにしておこう)。

そこで終わっていれば美しい完結だったかもしれないが、空即是色。「これは完全な終着だ。お前のゲームは終わったのだ」としきりに叫ぶSUPERHOT世界の集合意志(?)を無視し、プレイヤーは散らばった自我を再構築することができる*1

具体的にはこの画面で2時間半拘束される。

スキップ不可のプログレスバーが伸びるだけの画面はゲームに許される演出のエッジを探っていると表現すれば聞こえはいいが、こんなのは『たけしの挑戦状』がとっくに通過した地点であって、たけし以外が何故ほとんどやってこなかったかと言えば、単につまんねえからだよ。

(初期案では24時間、初回リリース時には8時間だったのがアップデートで2時間半に短縮されたという話を知って呆れてしまった。たけしだって5分ルートがあるぞ)


Xbox Series Xを2時間半空転させた私の前で、果たして世界はリストアされ、特に報酬のない追加ステージと、いわゆる「オワタ式」のサドンデス・モードがアンロックされた。SUPERHOT世界の集合意識が「この先に新しいPerkやステージは無い」と引き留めていたのは嘘だった(解放要素はまだあった)が、2時間半待ったなりの感動・情動は特にない。破壊されたゲーム機能を無意味な時間をかけて復帰したというのが、ほとんど正確なところだ。

魔法は解けた。がらくたを片付けているような気分のところに、「ゲームをやめた皆さん、おめでとうございます! あなたの判断を私たちは尊重します。ゲームをやめずに戻ってきた皆さん、ありがとうございます! いずれの選択もあなた方の『ナラティブ』、かけがえのない体験です!」という得意げな声が聞こえた気がした。


「このゲームが好きなら、どんなことでもできる?」という問いかけ、試し行動だったという言いかたもできるかもしれない。であれば、「好き」と答えさせるつもりなら自信が強すぎるし、「嫌い」と答えさせるつもりなら皮肉が強すぎる。

うんざりだよ。ゲームは初めから何処でやめてもいいものであって、ゲーム内のラスボスに「ゲームをやめろ」と言われて判断を迫られるものなのか。製作者に「ゲームはどこでやめればいいのでしょうか。おうちのかたと一緒に考えてみましょう」と言われるものなのか。いや、言ってもいいよ。言ってもいいがお前の言いかたは気に食わない。野暮の極みだ(ゲームの難易度を上げていく方面ならば大抵の仕打ちには耐えられるのに2時間半本体を空転させ続けることには耐えられない自分の心の動きを面白いとは思うが、それを許す許さないはまた別の話だ)。

くだらないテストでゲームと俺の関係の何を計ろうとしているのか。現代アート気取りのナラティブこっごさえ無ければ、もっと好きでいられたかもしれないし、もっと遊んでいたかもしれない。


坊主(オチ)が憎くなってきたのでついでに袈裟(ヤマ)の話をしておくと、そもそもシリーズ3作目である本作『MIND CONTROL DELETE』自体、前作までと比較してゲームデザイン自体がプレイ時間の水増しに特化していたようにしか見えないことには、開発者はどこまで自覚的だったのだろうか。

元来「自分が動けば相手も動く」のワンアイデアで3作も引っ張るのは難しかったように思う。Perkで能力に幅を持たせ、ローグライク方式でリプレイ性を確保し、ゲームとしての限界を先延ばしにする試みは、ある程度は成功している。

しかし全体として、特に難易度のコントロールをステージの連続クリア数に頼ったことは、単調なステージを何十何百と繰り返させるゲーム進行の無味乾燥さに直撃している。能力強化の爽快感はそんなリトライのストレスを埋め合わせるに足りていないし、それどころかアイテム運による自機性能のブレは、高難度チャプター(難しさの理由:ステージ数が多い)の初めからのリトライをますます強いてくる。

ツモ次第の運ゲーになりはてたゲームデザイン。抽象・断片化が前作以上に進み難解さを増したストーリー。「味のしないガム」という言葉はクリアする前から頭をよぎってはいた。


"We try to leave our games free for interpretation to the players and wouldn't like to push our own narrative," Skorupka said. "It's much more powerful for someone to filter the game through the lenses of their own experiences. That said, in my view the original Superhot is more about addiction and Mind Control Delete is about greed and over-attachment."

The new Superhot forces you to wait hours after the ending before you can play again • Eurogamer.net

Eurogamerによれば開発者は、「(開発者の言に左右されずプレイヤー諸氏の体験を大事にして欲しいとしつつも)SUPERHOT1作目では中毒を、MIND CONTROL DELETEでは貪欲と過度の執着をテーマにしている」と述べている。「ゲームの本筋を99%終えたとき、残りの1%を見たくなるのはなぜか?」「プレイヤーにとって無意味な時間をかけてでも遊ぶべきゲームだろうか?」といった問いかけとして解釈するのは、そこまで外したものでもないはずだ。

このゲームのエンディングは、キャンディの箱をとりあえず底までさらいたがるゲーマーの心理を逆手に取った、芸術性を狙った演出と説明できる。しかし同時に芸術性を建前にゲームの完成度をごまかそうとしてはいないか。上記のEurogamerの記事では友達とゲームの話をして欲しいだのと「議論が深まっ太郎」のようなことを仰っているようだが、それは日本語では炎上商法と言うやつじゃないのか。

仮に、SUPERHOTの水増しという自覚があればこそ「お前が味のしないガムをそれでも一生懸命噛もうとしていたのは何故か? それは欲であり人間の本質だからだ! これがお前たちのナラティブ! ご清聴ありがとうございました!」と糞をぶちまけに来たのであれば悪意まで感じるし、万が一、返品期間の回避や統計平均プレイ時間の延長のためにやっているならば只のセコい悪事だ。

英語メディアではIGNなど幾つかのサイトで話題になったらしい(待ち時間をキャンセルするパッチの話だったりするが……)反面、日本のウェブメディアがこのゲームのエンディングに触れたことはないようだ。それは良し悪しあるのかもしれないが、個人的にはこんな底意地の悪い、釣りのごとき所業が取り上げられなくて良かったと考えている。

*1:初代と2作目もゲームができなくなること以外は大体そのようなSUPERHOTに最接近するオチだった気はするので、同じことをしても仕方ないのは、それはそうだが。